成功者と非成功者の違い ~才能は種~
どうも、こんばんわ小鹿です。
今回は難しい話をさせて頂こうと思います。
それではいきます。
成功者と非成功者の違い ~才能は種~
ここでは念のため成功者の定義を経済的に自立した人や世間的に認められた人として定義します。
まず最初に、成功するためには何が必要か。これは長い歴史の中で答えが出ています。
答えは才能と努力と運です。この3つの要素を足し算にするか掛け算にするかは今はどちらでもいい。
重要なのは才能がなければ成功できないし、努力をしなければ成功しない、運がなければ成功しないということ。これは非常に残酷な話でもある。
成功している人はみなさんご存じの通り努力している。それも信じられないくらいの量と時間をかけて凡人の遥か遠くを歩いている。
(この努力できるかどうかも才能の1つであるということは今は扱わないことにする)
しかし世の中は残酷である。好きだけどそれだけでは成功できない人の方が圧倒的に高い。
好きで野球をして、好きだからひたすら努力できてもプロになれるのは一握りである。
それはスポーツだけでなく将棋、小説、ゲーム。どれを取り上げても同じである。
では一体才能があるとは何であろうか。
ここで一つの科学的根拠を提示する。(私は科学万能主義者ではないと予め断わっておく。その根拠に納得したから皆さんと共有するのである)
それによると才能がある人はない人に比べ成長スピードが速いそうだ。
なるほどこれは確かに思い当たるものがある。
よくスポーツ選手の過去の映像を掘り起こされるときがあるが大多数が小さいときからその才能を垣間見せていた。
(もちろん先ほど述べたように努力の鬼という存在も一定数いるが……)
つまり才能とは種なのである。
生まれてきたときの我々の体は土。その土の中に種があるかないかで決まるというわけだ。
その種は多種多様で数学が出来るようになる種、早く走れるようになる種、
文章をうまくかける種、絵や音楽に秀でるようになる種。
種なのだから最初は本当にちっぽけである。ほぼ皆無であると言ってもいい。
それ故最初はみな下手くそなのだ。それ故みな努力をすれば一定に上手になる。
しかし、種はやがて芽を出す。芽を出し始めたらそこからは指数関数的に上達する。
凡人を追い越し、才能を開花させる。
「好きだから」だけで成功できないのはそのためである。
好きなことと才能の種が一致する人は本当に一握りで本当にラッキーな人たちなのである。たとえ種を見つけてもそもそもそれに興味がなかったりするのがオチである。
これも残酷な話である。
私が敬愛する宮崎駿さんのインタビューにもあるように、好きだから故に大量の時間をつぎ込んでもいずれあきらめなければならないときが来る。
それを悟った瞬間、自分を殺したくなるほど感覚を覚える。
そして最後に鎮魂と忠告をさせていただく。
まずは鎮魂から。
人生は苦である。だからもっと気楽に生きればいいと思う。
才能があるかないかは外部の第三者に指摘される場合が多い。
それは自分で気が付かないからだ。意識しなくても出来てしまうため自分では気が付かない。まさに灯台下暗しである。
苦しいなら周りの野生動物を見てほしい。
彼らは食うか食われるかの世界に放り出されて死ぬまでそのデスゲームを繰り返す。
食う、食われる、寝る、交尾だけの生活のどこが面白いか。
そう考えれば人間とはなんと恵まれた生物か。
だから自分の人生を劇だと思って享楽的に生きてほしいと偉そうながら願っている。
本当の最後に忠告を。
どんなにみじめな経験をしても、それが自分だけに降り注いだ災難だとは思ってはいけない。
自分だけに災難が降り注ぐと考えるのは甚だ傲慢なことである。
我々が尊敬するあの人たちは隠れて死ぬほど努力をしているのである。
生まれ持った種という存在は否定しない。ただの事実である。
だがそこだけに焦点を当て、自ら努力を放棄するなんて負け犬、あるいは腰抜けでしかない。
あの人はあの人である。あなたはあなたである。
そこだけはどうか勘違いしないでもらいたい。